【スコーンで始まり、心が忙しい一日】——ゴールデンウィーク三日目の記録

ゴールデンウィーク三日目。みんな遊びに行っとるんかな? 高速道路の渋滞情報がテレビで流れるたびに「勝ったな…」とつぶやく俺。
そう、渋滞知らず、家にいながら最高の一日を過ごすのだ。
今日もまた、早朝からキッチンで火花を散らしていた。

■ 6時、俺、焼きたてスコーンの神になる。

目覚ましが鳴る前に目が覚めた。もはや老化ではない。これは使命感。
今日でスコーン焼きは3日目。連続出場記録更新中。俺の中ではもう「趣味:スコーン」って書いていいレベル。

ただし今回は、過去の反省を踏まえた「ガチ」スコーン。
レシピは忠実に。粉もふるった。サラダ油の量も砂糖も塩も適切な分量だ。変なアレンジはせず、確実に生地をまとめて、等分にして天板に乗せる。温度は200度、タイマーは15分。

スコーン焼きすぎ

トースターの中で膨らんでいくスコーンたち。まるで我が子。
そして焼き上がり。これが、過去イチの完成度。表面サクッと中ふんわり。おまけに高さもある。「これ、もう売れるで?」と自分でつぶやく。スコーンにクリームやらジャムやらを塗って食べる。うますぎる。

「明日はチョコスコーン焼いてみよかな…」と、俺はコーヒーをすする。
うん、これが松浦弥太郎がいう“暮らし”ってやつやな。

■ スコーン焼きながら、ちょっとだけAIの話

スコーンが焼ける間、ちょっとだけ「LISTEN」っていうPodcast的な音声配信を聴いていた。
その中で紹介されてたのが「Notebook LM」っていうGoogleのAIツール。

文章を投げたら、まるで人間がラジオでしゃべってるみたいに要約して音声にしてくれる。試してみたら、自分の日記が突然プロの語り手の声で読み上げられて感動と笑いが止まらん。
ちょっと漢字の読み間違いはあるけど、それもご愛嬌。

このアップデートってゲームチェンジャーになるのでは…5月も生成AI界隈は賑わってそうだ。
そして、授業で使えそうとか思ったけど、深く考えるのやめておいた。だって…

スコーン焼きすぎ

■ お昼の宴:シアッチョッ、君はいったい何者だ

お昼はコストコで買った謎のペースト「シアッチョッ」。これをきゅうりにちょんちょんつけて食べる。
う、うまい。なんやこの味は。コチュジャン…? にんにく…? ヤンニョム…?
全部の味がして、全部の味がしない。口の中で混ざって、なんかこう「韓国の風、吹いた?」みたいな気分になる。

その横でイカを炙る。イカを炙って食うって、もう完全におっさん。
昼間っからこの組み合わせ、反則級の幸福度。無限に食ってしまう。

■ 映画でアートに殴られる:『ハーブ&ドロシー』

午後は映画タイム。観たのは『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』。
郵便局員と図書館司書の夫婦が、40年かけて現代アートを収集し続けたドキュメンタリー。
庶民やのに、ミニマルアートやらコンセプチュアルアートやら、ガチすぎる作品を家にギュウギュウに詰めてて、見てるこっちが「これって美術館じゃなくて民家やで…?」と震える。

前半は「うわ〜ええなぁ、俺もアート飾りたいな〜」って思ってたけど、後半はもう「収集癖ってもはや病なのでは…?」って不安になってきた。

でも、よくよく考えたら、情熱と狂気は紙一重や。
ハーブには確かに審美眼があったし、ドロシーの忍耐と愛情もすごかった。
“好き”を突き詰めた二人の生き様に、感動と微妙な怖さが入り混じって、なんとも言えん余韻が残った。

■ 夜の大興奮:井上尚弥、漢のKO

夕方。Amazonで井上尚弥の試合がライブ中継。
これがまた手に汗握る展開で、モニターの前で正座。序盤からガンガン攻めて、やっぱり強い。でも相手もガードがうまくてなかなか倒れない。

「うおおお! あぶなっ!」
「あ、でも今のラウンドでちょっと動き変わったか…?」

もはや解説者気取り。死んだ親父がボクシング好きやったなぁと思いながら試合を観る。

試合は見事に井上選手のTKO勝ち。ダウンも取られて、いつもと様子が違うように見えたけど、どうなんやろか…Xを覗くと、あーだこーだ言っててみんな詳しいのね。


■ ひと息ついて、また歩き出す前に

こうして、スコーンで始まり、アートに揺さぶられ、イカで癒され、井上尚弥で心臓に負荷をかけた、濃密すぎるゴールデンウィーク三日目が終わる。

思えば、朝6時の静けさの中で粉を混ぜるところから、気づけば井上尚弥の拳に目を見張り、夜にはしんとした部屋で本をめくっていた。
スコーン、映画、イカ、AI、本、そしてボクシング。まるでひとつの旅のようだった(遠い目)。

でも、明日はゴールデンウィークの最終日。
これまでのように、予定も立てず好きなことに没頭して、思いつくまま手を動かして…というわけにはいかない。

少しずつ、日常に戻る準備をしなければならない。
仕事の段取りを確認して、散らかった部屋を片付けて、冷蔵庫の中身をチェックして、日常のリズムに心と体を合わせていく。
そんな一日になるだろう。

でも、それは悪いことではない。
こうして休日を十分に楽しんだからこそ、日常に戻る準備もまた、穏やかな充実感とともにできる気がする。
むしろ「ちゃんと戻れる場所がある」ということに、どこか安心している自分もいる。

明日は、今日みたいに何本も映画を観たり、読書をしたり、料理をしたりはできないかもしれない。
でも、たとえば読みかけの本の続きを少しだけ読んだり、焼いたスコーンを朝食にゆっくり味わったり。
そうやって、休日の余韻を上手にたたんでいきたい。

次の休みまで、また少しずつ毎日を積み重ねていく。
今日の自分が、明日の自分を少しでも助けてくれますように。
そして、あわよくば、次の長期休みに向けて、またひとつ新しい楽しみを見つけられますように。