時間とはなにか? 答えを探してベルクソンと迷子になってみた話 『世界は時間でできている』を読んで──ベルクソン的時間哲学へのゆるやかな入門

時間とは、いったい何なのか。スマホの時計を見れば、確かに「そこにある」もののように思える。しかし、ふと立ち止まって考えてみると、それはまるで掴みどころのない存在にも感じられる。

そんな時間の不思議に対して、100年以上も前に「それは“空間的に計測されるもの”とは違うのだ」と喝破した人がいた。そう、アンリ・ベルクソンである。哲学が苦手な人も、名前だけは聞いたことがあるかもしれない。

そしてそのベルクソンの時間哲学に、現代の言葉で丁寧に導いてくれるのが、平井靖史さんの『世界は時間でできている』である。

本書は「ベルクソンの言ってること、なんとなく難しそう……」と感じる人に向けて書かれた、いわば“優しいけれど芯のある”哲学入門書だ。だが、その「やさしさ」は読者への配慮であって、内容は決して薄くない。むしろ、丁寧に噛み砕くからこそ、読者は自分の頭で考えることを求められる。

この記事では、この一冊を読みながら考えたこと、哲学との向き合い方、そして時間をどう生きるかについて、身近な例を交えつつ書き留めておきたい。


哲学書ってなんでこんなに難しいのか

この本を手に取ったとき、まず真っ先に思ったのは「うわ、やっぱり難しいかも」という一抹の不安だった。ページをめくるごとに「“時間とはなにか”を問うって、こんなに根源的なのか」と痛感する。

しかし読んでいくうちに、次第に分かってくる(気がする)。「難しい」のではなく、「わたしたちが普段立ち止まって考えないことを、真剣に考えようとしている」からこそ、戸惑うのだ。

たとえば、本書の中盤で紹介される「空間化された時間」の話。わたしたちは時間を“1分”“1時間”と計測し、予定を立て、スケジュール通りに生活している。この感覚は、現代社会においては極めて自然なことだ。でも、ベルクソンはそれを「空間的に並べ替えられた時間」だと見る。

一方で、彼が主張するのは「持続」としての時間。つまり、内面に流れていく時間、言葉にならない感覚や気配のようなもの。

ここで少し、実生活の例に引き寄せてみよう。


持続としての時間──たとえば「退屈な授業」と「好きな人との時間」

中学校や高校で、6時間目の授業がどうしようもなく長く感じられたことはないだろうか。逆に、友達と放課後に話していたら、あっという間に日が暮れていた──そんな経験もあるはずだ。

この「時間の感じ方の違い」こそが、ベルクソンが言う「持続=デュレ(durer)」の核心だ。時計の上では同じ1時間でも、我々の内面ではそれはまったく異なる厚みを持っている。

この時間の“厚み”や“質感”は、数字で測ることができない。だが確かに存在する。人はそれを「楽しい時間」「濃い時間」「退屈な時間」などと表現する。


世界は本当に“時間でできている”のか

タイトルにもあるように、本書は「世界は時間でできている」と語る。これを最初に見たとき、「いや、物質とか、空間じゃね?」とツッコミを入れたくなるかもしれない。

でも、たとえば誰かと過ごす「かけがえのない時間」や、ある出来事の「意味」を思い出すとき、我々は空間よりも“時間”を手がかりにしていることに気づく。

誰かとの関係も、音楽も、詩も、記憶も──すべて時間の中で展開し、変化し、意味を持つ。そう思えば、「世界は時間でできている」という言葉は、あながち詩的な比喩ではなく、本質的な真理のようにも聞こえてくる。


AIと“持続”──現代との接点を探る

AIは、膨大な情報を空間的に処理することに優れているが、「持続」や「感覚の重なり」といった時間の質的側面には対応できない。そこに、ベルクソン哲学が現代において再評価される意義がある。

この観点は、教育や医療、介護、芸術など、あらゆる人間の営みにも通じる。データでは割り切れない「生きられた時間」の重み。それをどう扱うかは、これからの社会にとって非常に大きな問いではないだろうか。


哲学は「わからなさ」と付き合うための道具

本書を読んで改めて感じたのは、「哲学は、何かを“すぐにわかるようにする”ための道具ではない」ということだ。

むしろ、“わからなさ”と共に生きるための術なのだ。言い換えれば、「すぐに意味が出てこないことに、耐える力をくれるもの」である。

本を読み進めながら、何度も「ああ、わからない……」とページを閉じたくなる瞬間があった。だが、そこで諦めず、少し考えて、また戻ってくる。そうやって「持続」しながら読むことそのものが、ベルクソン的な読書体験なのかもしれない。


最後に──時間を「感じる」ことの価値

この本を読み終えたあと、時計を見つめる自分の視線が少し変わっていることに気づく。

スケジュール帳の隙間にある「何もしない時間」や、子どもと過ごすゆっくりした午後の感覚が、これまで以上に愛おしく感じられる。

時間は、刻まれるものではなく、感じるものだ。

読後、「すぐには腑に落ちないけど、じんわりと考えさせられる」。そんな読書体験が、きっと誰にとってもかけがえのない“持続”になるはずだ。