ゲームでわざと負けることの弊害

幼い頃に大人と勝負事をすると、手を抜いてもらった経験は誰しもあるだろう。例に漏れず自分もそんな経験がある。

手を抜かれると、子供ながらに気が付く。不思議なことに分かるもんだ。同情されたなとか、半泣きになってるから負けてくれたんだなとか。心の底から喜べないが、大人が気を遣っていることは察するので、中途半端に喜んじゃって。そりゃもう何とも言えない気持ちでいっぱいになる。

妻の友達が3歳と6歳の男兄弟を連れてきたときに、マリオカートを娘も交えて遊んだ。娘にしてみると初めてのゲームだ。あーだこーだと男たちは言いながら娘に指南する。自分より上手くないのは娘だけだから、ここぞとばかりに教えてくれる。娘も年齢が近いから教えを請いやすいようだ。

兄弟が帰ってからはマリオカートしたい!と言って練習を始めた。50ccだとCPUも弱く、娘でも優勝できる。任天堂の素晴らしいシステムだ。プレイヤーの強さでCPUの強さも可変するらしく、大人が2コンで入ると一気にCPUも強くなる。

そんなわけで娘は一人で練習を積み重ねていた。勝ち続けていると、親とも一緒にしたくなる。

一緒にプレイすると1位になれない。1位になれないと悔しい。悔しいことが重なると、もう!誰か代わりにやって!したくない!と投げ出す。

妻の友達は優しいので手を抜いて、わざと負けてあげる。そうするとイエーイ!よわ!!とかそういうよろしくない言葉を発するわけだ。これまでの鬱憤を晴らすかのように吐き出す。気持ちはよーく分かる。

負けるとイライラして爆発して、もうしないと投げ出す。こちらがわざと負けると相手を小馬鹿にするような発言をする。こういうのを友達にしちゃうとまずいので、どうしたものかと考えていた。

そうして、負けてイライラどかーんの時には、どうしたら良いかの対処法を一緒に話し合ったのだ。

まずは投げ出したとき。大人もゲームを終了する。投げ出したらこっちも楽しくない。楽しくないのに一緒にゲームはできない。だから、気持ちがおさまったらまた声をかけてねと言っておく。そうするとお茶を飲んで、気持ちを落ち着かせたら声をかけてくるようになった。

次に負けが続いたとき。娘のプレーを褒める。もうとにかく褒める。大人たちは子供の時にゲームの練習をしてるから、あなたより上手なのは当たり前。でも、あなたのプレーはこことここが上手かったよ。そうすると、見てもらっていると感じるのか、次もやりたいと気持ちをリカバーできるようになった。

それでも少しばかし手を抜いてギリギリで娘に花を持たせることもある。そんな時に小馬鹿にするような発言があった場合は、それは幼稚園で教えてもらったチクチク言葉、シクシク言葉だから相手に言うのは良くないよ。自分が言われたらどんな気持ちになる?それだったらやめよう。ただし、自分が喜ぶ分には大いにやってもらってオッケー!嬉しい時は大声出してもいいよと言う。

で、自分たち大人が負けた時は大いに悔しがる。くっそーーーー!て悶絶して次は勝つぞーーー!と大げさに反応する。そうすると娘は、次も負けないぞー!とやる気をだす。

ゲームに負けた時にイライラしてるのを見て、怒るな!と言うのは無理な話なのだ。大人だって無理だ。イライラする。相手に勝つことがゲームの目的なのか、ゲーム自体を楽しむことが目的なのか、その辺りは伝わらないかも知れないが話している方が良いと思う。

小学生くらいになるときっと友達とゲームをするだろう。そんな時に、負けてどう言う態度になるかって結構大事な気がする。物に当たったり、最悪人に当たったりすると、友達もいなくなるだろう。人間性が現れると思う。そう言う意味では、自分の感情がよくない方向で出てしまいそうな時に、対処法を知っておくとか考えておくとかって言うのは大事なんじゃないか。

そう言ったわけで、我々夫婦は手を抜かずゲームをするのだ。