読むことが難しくなってきた

積ん読はみなさんもしているだろう。いつか読もう。あとで読もう。並行読みをしていたら、思いのほか別の本がおもしろすぎて放置。その積ん読の状況を眺めていると本が迫ってくる。読め!早く読~め~。時間は有限だぞお~と。

しかしながら面白そうな本は日々追加されていく。本を読めば読むほど古典の重要性が分かり、古典を読むようになる。そして関連本を辿っていかなきゃ今読んでいる本を理解できない、なんて状況も出てくる。いつになったらこの積ん読の山を崩せるのか。

崩そうとしているのか甚だ疑問だが、兎に角、読まなきゃと思いつつも日々に忙殺されているのが現状だ。言い訳言い訳。

そして悲しいことに、物理的に読むことが難しくなってきたというのもある。20代の頃はぶっ続けて10時間読んでも、脳が気持ちえ~という快感の疲労だった。それが40代になると自分でも変化に気づくくらい変わる。まず、目がつらくなり長時間読めなくる。15分も読むと深呼吸が必要になる。

同じ本を集中して読み、ノートを取るというのがきついのだ。
だから短時間で並行読みを繰り返すというのが今の自分には合っているように思う。
ちょっとずつちょっとずつつまみ食いをするのに似ている。
つまみ食いしながらノートに軌跡を書いていき、あとで見返すことでようやく理解に至る。

Audibleのように音声で本を読む場合もあるが、あれは理解が追いつかない。
ノートに書きながらだと、音声を止めて戻して再生してとなり、余計に時間がかかる。
音声リーディングはライトな本に向いているように感じる。自分が知的好奇心をくすぐられる本には圧倒的に向いていない。

やはり本は紙が一番だ。
音声は脳に残りにくいし、電子書籍は目に疲労がたまる。安定して読み続けられるのは紙だ。

さて死ぬまでに、あと何冊の本を読めるのだろうか。
若い時分は時間なんてまだまだあるし、これから読める本も無限にあるように錯覚していた。
物理的に読むことが難しくなるなんて思ってもいなかった。
困難ではあるけれども、本を読むという行為はやめられない。