学習意欲の喚起は無理ゲーなのではないか
学力不振の生徒に学習意欲を喚起することって可能なのだろうか。
野口芳宏先生は「学習とは強制である」とおっしゃっている。
まさにその通りだと自分も考えている。自主性に期待するほど無責任なものはない。強く言うなら、そんなものは虐待と一緒だ。
ただ、その強制を受け入れて
「しゃーないからやるか~」となる子供が少なくなってきているように感じる。年々この傾向は強まっているように感じる。あくまでも自分の経験する範囲での体感だ。毎日書いている指導実践日記を繰っても、10年前と今では生徒があきらかに異なる。
一部の反抗的な生徒のことを言っているのではない。
いわゆる普通の生徒達に、強制が効かなくなっているのだ。
例えば放課後に残して課題をさせるといったことも、今ではNGになることが多い。そして残せたとしても下校時刻が来るまで何もせず、ぼうっと過ごすだけで帰っていくのだ。
学習意欲の喚起とは何なのだろうか。
前にうまくいったことが次もうまくいくと、そんな甘い考えは毛頭ない。目の前の生徒は違うのだから。違うのは分かっているが、それでもなお自分の力不足を強く感じる。
スモールステップとか、小集団で教えあいとか、学習過程を遡ってとか、学習支援員がついてとか、もはやそんなレベルでは対応が難しすぎる生徒がクラスに15%~ほど存在する。
「ケーキの切れない非行少年たち」ではないが、確かにそのような認知力の高くない生徒もいる。いるが、そういう生徒以外でも学習意欲が著しく低下しっぱなしなのだ。
公立の学校あるあるかも知れない。朱に交わればなんとかで、その年の集団形成においてがんばらなくてもいいやという考えが蔓延しているのかもしれない。
それにしても、この状況を見るのは精神的につらい。
塾じゃあるまいし、そういった生徒を放ったらかしにするわけにもいかない。
悩ましい問題だ。
ワンクリックで世界レベルのスキルを知ることができる世代に、地道な努力と、知的好奇心の積み重ねがどういうことを生み出すのかといったワクワク感を伝えるのは困難だ。
人は自分の経験をもとにしてしか選択をできないと言われている。バイアスというやつだ。幼いころから学習し続けたらどうなるのかといった経験が不足している場合、学習意欲なんてほとんど湧かないのかもしれない。
実に悲しいことだ。
それでも目の前の生徒が、ぐっと身を乗り出すような授業を作り続けないとね・・・。