嘘をつくコスト

ある日、学校に不要物のスマホを持ってきた生徒がいた。授業中にノートにスマホを隠していじっているのを授業者が現認した。授業者はその場でスマホを預かる。授業後にその生徒に話を聞く。放課後に保護者にスマホを取りに来てもらい、その生徒の様子やあったこと等を話す。今後のことも話す。

だいたいこういう流れで生徒指導が行われる。

ただ、生徒と話す段階で思うことがある。嘘をつくのだ。それも、すぐに嘘とバレる嘘をつくのだ。

例えば、スマホは触っていませんとか、昨日塾に持って行ってて、授業中に思い出して電源を切ろうとしましたとか、ぼくのじゃありませんとか、ひどい場合だとスマホ持ってきてませんとか。

嘘をつくことは低コスト、つまり簡単である。一方で、嘘を崩すプロセスは高コスト、つまり時間がかかる。これを肌で知っている生徒がたくさんいるのだ。

大人の世界でもそう。嘘をついて、ゴネ得する輩を目の当たりにした人もたくさんいるでしょう。筋の通っていない嘘を平気でついて、時間や人的コストをたくさんその解決に割かせる人を。

こういうのがまかり通るようになってはまずい。
嘘をつく人を誰も信じないし、生きていくのも最終的にはつらくなるように思う。いや、それは綺麗ごとか。

腹を割るならば、しょうもない嘘ついて人間性を落とすなよ。これ。先のない大人ならまだしも、まだまだこれから楽しいこともたくさんある子供が、早い段階でこういう手段を、無意識的に使ってしまう。ここにこそ問題がある。

叱られるようなことをしてしまったら、ごめんなさいだ。そこで自分を守るために、嘘をつく、それが許せない。嘘をついて、その場を取り繕い、叱ってくれる人から逃れる。そして、平然と日常を重ねる。それを子供が自然と身に付けている処世術というならば、悲しいことだ。

そのような大人ばかりの世界に生きたいのだろうか。自分と同質の人間で構成された世界で生きていけるか?嘘をつく人間ばかりの世界は苦しくないか?

大人がしょうもない低コストで嘘をつき、少しでも利益を得ようとするあさましい態度を顧みないと、負の再生産はいつまでも行われる。