息子、手をつぶさに観察す。

娘が生まれてからず〜っと発達状況をノートに取っている。息子が生まれてからは息子の発達状況にも気がついたらノートに取るようにしている。

例えばボールを掴んで落とすことを繰り返しているとか、つかまり立ちした後はかなり慎重に腰を落として座るとか、ベビーベッドの柵を上下に引っ張りながら叫ぶとか、そういう類の発達について書いている。

ここ2日は、自分の手をよく観察している。表を見て・・・裏を見て・・・また表を見て・・・ぐーをして・・・開いて・・・太陽を透かすように上の方に手をやっては黙って観察を繰り返している。

何を考えているのだろうか。
親としてその眼差しを観察し、その眼差しの対象物をも観察する。しかし、あるのは紅葉のような手だけだ。

自分の意思で指を曲げているのだろうか。何かをつかもうとして無意識に指を曲げているのだろうか。もう11ヶ月だ。彼にも好奇心が芽生えている。何かものがあれば触るし、遠くにあるならほふくして進むし、そしてその結果、つかまり立ちをするし、アフォーダンス理論を目の当たりにして、なるほどなぁといつも感心している。

興味の対象が”ある”ということに気づいたとも言えるのかもしれない。赤ん坊を見ているといつも不思議な気持ちになる。いつか来た道なのだが、記憶にないのだ。どうやって今の自分が”ある”のか辿っていくと、いつかの場面でおぼろげになる。いろいろなことを娘と経験したが、彼女は覚えていない。4歳を迎えようとしているが、覚えているのは半年くらい前までだ。

赤ん坊を見ているといつも不思議な気持ちになる。こうやって思考して、言語化しようとして、ネットで発信して、ができるようになれたのは数多くの大人の支えの賜物だ。しかし、自分は一切覚えていない。幼児教育は己の根幹を成すようなものかも知れない。覚えていないが、それが底にある。

おっと、息子の話から脱線した。
観察することで何を得ているのか分からないが、人の特徴は真似をすることだ。観察して、そこから学ぶことができるのだ。もしかすると、知覚し観察し模倣することで脳が発達していくのかも知れない。

知らんけど。