ピアノを習いごとにする

娘3歳の習いごとはプールだけだ。週に1度ある。泳ぐというよりも水に慣れると言った方が適切だ。泳法を学ぶことはない。潜っておもちゃを取ってくるとか、浮くとか、足のつかないところでバタバタするとかだ。

習いごとに関しては夫婦で意見が分かれる。
妻はバレェとピアノを学ばせたい。自分はピアノと合気道と書道を学ばせたい。

親が学ばせたいという思いと、本人が学びたい・知りたいという思いが合致すれば習えばいい。自分が子供の頃に親からそう教育をされたから、それを自分の子供にも適用している。ちなみに自分が子供の頃は、書道、剣道、塾に通わせてもらった。いずれも2、3年で辞めているのだから継続力のなさに我ながら辟易する。

指導者の元で学ぶことは、近親者から離れて孤独と向き合う機会にもなる。学校の先生や親のような庇護者ではない、社会人との対峙。これは子供にとってストレスだし、外の世界をリアルに知る良い機会にもなると思う。

さて娘の話。夫婦で共通している意見はピアノ。これに関しては娘も2歳の頃からピアノを弾きたいと言っている。義理の妹がピアノを習っていたので、アンパンマンマーチやきらきら星と言った曲を目の前で弾いて一緒に歌ったりしたことも影響している。幼稚園では大好きな先生が弾くピアノの話もよくする。パパがギターで、私がピアノ!ママは・・・お歌!と言う。

ピアノ教室は3歳児に対して鍵盤を触らせることは稀のようだ。多くは音楽を楽しむリトミックだ。3歳は長時間も椅子に座っていることが難しいのと、指の長さや、指示の難しさや色々とあるらしい。このあたりはよく分からん。何にしても3歳でピアノを弾くと言う経験は大手のピアノ教室ではほとんどない。と言うわけで現在も棚上げされた状態にある。コンクール入賞だ!とか将来はピアニストだ!とかそういったガチ勢ではなく、あくまでも娘がピアノという生きる手段を得られるためのものだという考えだ。

六経のうちの楽経にあたる音楽は、まだ聴こえない音を聴き、音を奏でる準備をし、適切な音を出すというとんでもなくすごいことをする。つまり先がどうなるか分からない状況(音が鳴っていないから)なのに、恐らく次はこういう状況になるだろう(こんな音が鳴るだろう)と想定し、その状況に相なった時に適切な振る舞いができる(その場に流れる音と合わせて調整する)ということだ。

言い換えれば、これからどうなるか分からない時に、どうすれば良いかが分かるようになるとも言える。

そういう感覚を研ぎ澄ますことが音楽を学ぶ大きな目的だと思う。

また、音は発生した次の瞬間にはそこにはない。消えゆくものだ。消えゆくものを留まらせるために譜面がある。消えゆく音を記号化し、譜面に居着かせるというのはある意味で呪いのようなものだ。日常で使われない記号や体系を知ることは、自分の知らない世界が外に広がっているということを認識する機会にもなる。

我々夫婦はピアノは弾けない。自分は多少はギターを弾くが趣味的なものだ。つまり音楽の世界は未知なのだ。その世界は自分が生きる手段になっていない。娘には、親が持ち得ない生きる手段を一つ手に入れて欲しい。